魂の叫び
上空に上昇していくF-16戦闘機のパイロットが
地上の様子を肉眼で確認しようと見下ろすと、
河川敷に停泊しているDestinyの高速船に乗込むFORDの姿があった。
戦闘機が上昇し続ける間に、
後を追うようにキャサリンとマックスを乗せたモントークも高速船に乗込んだ。
「逃がしはしないぜ!」
上昇して空戦エネルギーを蓄えたF-16は旋回を終えると、
ニューヨーク湾に向けて
水しぶきをあげて走り出した高速船を仕留めるべく高度を下げだした。
イースト川河口には、ニューヨークを象徴するブルックリン橋が架かっている。
その手前にもマンハッタン橋が並んで架かっている。
下の写真は、崩壊したワールド・トレード・センターから撮影された
イーストリバーとそこに架かるふたつの橋の姿である。
今はこのアングルからこの風景を眺めることは出来ない。
この空間にはかつて、沢山の生命が活気を漲らせて存在していた。
企業戦士となってたった一人で家庭を支えてた父親。
女手一つで我が子を育ててた逞しき母親。
未来への希望に瞳を輝かせ、ひた向に仕事に打ち込んでいた青年。
親元を離れ、大都会の中でたった一人で生き抜こうと努力していた娘。
生命が必死に生きていこうとしている姿がそこには凝縮していた。
その尊い生命を誰人も、如何なる理由によっても
一方的に抹殺する権限などはない。
そのような事は、絶対にあってはならない。
だが、それが現実に行われた。
誰が、何のために
そのような傍若無人な行為を行ったのか。
その人間に決して正義などはない。
正義を履き違えるな。
正義とは、人の道を人間らしく貫き通す者だけが口に出来る言葉。
そのような傍若無人な輩から尊い生命を守る為に
彼等はGUNを使う。
彼等は決して生命を抹殺する事にGUNを用いるのではない。
それがどれ程の技術と精神力とを持ち備えた人物でなければ
成し得ない巧みな技であるか。
Wild-Bisonは、そのような人間しか手にする事が許されないGUNである。
古来、日本に於ける武士は、剣の中に自身の魂を注ぎ込んだ。
剣と向かい合うことで、自身の人間としてのあり方、
武人としての心得を習得し、強靭なる肉体と精神を築き上げていった。
剣を手にする武士達は皆、そういった崇高なる精神、
武士道に生きる誇りを持っていた。
武士道を知らない農民や商人が剣を手にする事は決して許されなかった。
だが、この国はそうではなかった。
誰もが自由に武器を手にする事が出来る国、それがアメリカである。
だからその武器を武器としてしか扱うことが出来ない者達が後を絶たない。
日本の武士達は、剣が如何なる物かを知り尽くしていた。
それは、単に人を殺しえるものとしての認識ではなく、
人間の生命の尊さを仏教から学び、
その尊い生命を抹殺するだけの資格が果たして自身にあり得るのかと厳しく自身に問いかけ、
仏にしか分かりえないであろうその答えを悟りえる為に、仏の境界に自らの境界を高めて行く。
剣が使い手を人間としてより崇高な次元へと導いていた。
そういった人間としての魂が日本の剣には込められている。
Wild-Bisonもまた、単なる兵器としてのGUNではなく、
Bisonが日本に於ける武士道を、
人間としての魂を注ぎ込んで造られたGUNである。
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※ このストーリーは個人の趣味レベルで創作を楽しんでおります。
ストーリーはフィクションであり
実在する国家・団体・企業・HP・個人等とは一切関係ありません。