第二部

Gun Spirit of Bison
ガンスピリット・オブ・Bison
~海を渡った武士道~
 
日本史において、およそ200年続いた戦国の世を終わらせた天下人、徳川家康。
 
その家康が築いた徳川幕府は260年もの長きにわたって反映し、さまざまな文化が開花した。
 
江戸時代以前の争い事が絶えなかった戦国の世の剣術は、たんなる殺人剣法でしかなかった。しかしその「殺人剣」を「剣禅一致」という仏法で説かれる禅の精神を取り入れ、人間としての高みを目指す人を活かす剣「活人剣」に転じ、剣術を武道へと昇華させた剣術家がいた。徳川将軍家剣術指南役、柳生但馬守宗矩(やぎゅう たじまのかみ むねのり)その人である。
 
歴史上、剣豪と称された人物が大名の地位にまで上り詰めたのは、大和柳生藩初代藩主となった柳生宗矩只一人である。家康、秀忠、家光と三代将軍の剣術指南役を任され、幕府初代惣目付として松平信綱、春日局と共に家光を支えた鼎の脚の一人とされた人物である。
 
家康が徳川の世をおさめるにあたって兵法指南役として選んだその柳生の剣は、
 
「兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと(間違い)也。人をきるにはあらず、悪をころす也」
 
「人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり」
 
の宗矩の言葉にいい表されるように己の人間性を高める武士道であり、その武士が向き合う刀は「武士の魂」とまで言われるようになった。